道祖神(どうそじん)
別名、塞(さえ)の神とも言われ、五穀豊穣、無病息災、子孫繁栄、旅の安全を
願って造られた道の辻にある石仏である。文字碑と双体像の2種類に大別される。
安曇野においては、江戸時代からの保存状態の良い男女の双体道祖神が多い。
また全国的にも珍しい彩色双体道祖神もある。
彩色は、道祖神祭りにおいて地域の子どもたちによって行われている。
その際、御柱を建てる地域もある。
文字の道祖神
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また安曇野の特徴として1メートルを超える道祖神文字碑がある。
写真は2メートルを超える大型道祖神文字碑である。
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双体道祖神の形態は、男神が向かって右側、女神は左側に彫刻され、
握手像、酒器像、笏扇像、接吻像、餅つき像などがある。
典型的な服装は、男性が衣冠束帯で、女性が十二単である。
握手像、酒器像、
笏扇像、接吻像、餅つき像
道祖神と一緒に、庚申塔、月待塔などが祭られている。
帯代について
(44) (81) (116)
(括弧内は、道祖神めぐり番号、画像クリックすると大きく表示)
道祖神の裏側に、その金額が表記されている。
江戸時代において、道祖神の御縁想や嫁入りとも言われ、
「道祖神盗み」が、村の若者によって行われたそうである。
繁栄している村の道祖神を盗むことによって、その繁栄にあやかるために
行われた。
帯代は、盗難防止的な意味で高額を記載するケースもあるようである。
詳細の道祖神ぬすみの話:朝日村の解説ページへリンク
庚申塔(こうしんとう)
道祖神と一緒に祭られている場合が多い。
「庚申(かのえさる、こうしん)」とは、干支の組み合わせの57番目で、
60年に1回まわってくる。西暦年を60で割って割り切れる年が庚申の年となる。
近年では、1980年、2040年がそれにあたる。
中国の道教において、人間の体内には三尸(さんし)虫が宿っているとされている。
庚申の日、すなわち60日に1回、この虫は寝入った宿主の人体を抜けだし、
天帝にその人間の悪事を報告し、その悪事に基づきその人間の寿命を短くするのである。
三尸は、宿主が死ねば、鬼になれる。
しかしこの日に寝なければ、三尸は体外に出られない。
庚申講とは、この庚申の日夜通し眠らないで天帝や猿田彦や
青面金剛を祀って宴会などをする風習である。
石碑の見極め方法は、
庚申、猿田彦、青面金剛と文字が書かれているものや、
青面金剛像、太陽,月,鶏の像、、猿の像が彫られているもの
特に三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)が多い。
通常、青面金剛像は、怒った顔で、腕が六本(六臂)で、
正面で合掌し、残りの腕に武器を持っている。
腕が四本の像もある。
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安曇野では、道祖神と同様に、珍しい彩色した庚申塔がある。
月待塔(つきまちとう)
安曇野において、道祖神と一緒に祭られた「二十三夜」と彫られた文字碑をよく見かける。
1メートルを超える非常に大きな石碑や彩色してあるものも見られ、
これらは安曇野の独特のものではないかと思う。
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「数字+夜塔、夜講、夜待」または「勢至(せいし)」と
彫られている碑などを総称して月待塔と言う。
数字は十三〜二十六まであり、二十を「廿」と彫られたものもある。
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月待とは、特定の月齢の夜に集まり、当番の家で月の出を待ち、祈る信仰行事である。
江戸時代中期から行われたようであるが、仲間と飲食を楽しむ色彩が強かったようである。
十三〜二十六夜と待つ日があるのだが、中でも盛んなのは二十三夜待であり、
この寄り合いを二十三夜講や三夜講と言う。二十三夜の主尊は、勢至菩薩、月読尊であり、
十七、十九、二十、二十一、二十二の主尊は、如意輪観音である。
従って勢至菩薩像や如意輪観音像も月待塔である。
典型的な月待塔の彩色文字碑(と彩色双体道祖神)
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珍しい月待塔
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大黒天
文字の大黒天(と恵比寿天)
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彩色の大黒天
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巨大な大黒天、形そのものの大黒天、板状の大黒天などある。
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恵比寿天
彩色の恵比寿天
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達磨大師
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このサイトの参考資料:
・「道祖神めぐり」穂高神社、穂高観光協会
・「穂高町の石造文化財」穂高町教育委員会
・「信濃路の双体道祖神」小出久和
・「野仏の見方」外山晴彦
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